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山口地方裁判所 平成5年(行ウ)1号 判決 1995年6月27日

山口県小野田市中央一丁目二番二〇号

原告

御馬舎広道

右訴訟代理人弁護士

高井昭美

同県宇部市常盤町一丁目八番二二号

被告

宇部税務署長 高尾正治

右指定代理人

榎戸道也

大北貴

品川寿興

小山稔

吉武丈治

高地義勝

小林重道

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が平成二年八月二八日付けで原告の昭和六〇年分、同六一年分、同六二年分、同六三年分及び平成元年分の所得税についてした<1>各更正処分のうち左記1の金額を超える部分、<2>各過少申告加算税賦課決定処分、<3>各重加算税賦課決定処分のうち左記2の金額を超える部分をいずれも取り消す。

昭和六〇年分

総所得金額

一億一五七九万二九六六円

同 六一年分

総所得金額

一億一五四二万二九九六円

同 六二年分

総所得金額

一億一七五六万八四八七円

同 六三年分

総所得金額

九三〇〇万〇九九八円

平成元年分

総所得金額

一八二一万六八七六円

昭和六〇年分

重加算税対象所得金額

二一〇万九〇〇〇円

同 六一年分

重加算税対象所得金額

二二三万六五〇〇円

同 六二年分

重加算税対象所得金額

二三二万七四〇〇円

同 六三年分

重加算税対象所得金額

二四三万〇六〇〇円

平成元年分

重加算税対象所得金額

二五一万八八〇〇円

第二事案の概要

本件は、被告が原告の所得税についてした更正並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定の各処分について、更正処分は原告の所得のうち事業所得を過大に認定した違法なものであり、過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分は、右更正処分を前提としてなした違法なものであるとして、原告がその取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、山口県小野田市において、精神・神経科病院小野田心和園(以下「小野田心和園」という。)を営む者である(争いがない。)。

2  原告は、昭和六〇年から平成元年までの各年(以下「本件係争年」という。)分の所得税につき、別表一ないし五記載のとおり確定申告、修正申告、再修正申告を行ったところ、被告は、平成二年八月二八日付けで原告に対し、同表一ないし五記載のとおり更正(以下「本件各更正処分」という。)並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定をした(以下、それぞれ「本件過少申告加算税賦課決定処分」、「本件重加算税賦課決定処分」という。)。

本件各更正処分の課税所得金額、本件過少申告加算税賦課決定処分の過少申告加算税対象所得金額、本件重加算税賦課決定処分の重加算税対象所得金額はそれぞれ別表1記載のとおりである。

原告は、別表一ないし五記載のとおり、これらの処分(以下「本件各処分」という。)を不服として平成二年一〇月二二日、被告に対して異議申立てをしたが、被告はこれをいずれも棄却する決定をしたので、原告は平成三年三月一日、国税不服審判所長に対して審査請求をしたが、同所長はこれをいずれも棄却する裁決をした。

(右各事実につき争いがない。)

3(一)  原告が本件係争年分につき小野田心和園の経営によって生じた事業所得として申告(昭和六〇年分から同六二年分については再修正申告、昭和六三年分及び平成元年分については修正申告)した金額は、別表1の「修正申告又は再修正申告による事業所得の金額」欄記載のとおりである。なお、本件係争年分の総所得金額には、右事業所得のほかに利子所得、雑所得が含まれるが、これは別表1の各該当欄記載のとおりである。

原告は、右の各再修正申告及び各修正申告における事業所得の金額の計算において、<1>別表1の「柴田正彦に係る報酬額」欄記載の各支給額の金額、<2>同表の「柴田千代に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額及び<3>同表の「伊藤倭玖子に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額をいずれも必要経費に算入した。

(右各事実につき争いがない。)

(二)  右(一)のうち、別表1の「柴田千代に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額は、事業所得の金額の計算上必要経費に算入すべきものではなく、これを重加算税対象所得金額として、国税通則法六八条一項の規定に基づき重加算税を賦課決定したことは適法である(明らかな争いがない。)。

4(一)  柴田正彦(以下「正彦」という。)は、原告の従兄弟であり、また、小野田心和園の事務長である柴田孝彦(以下「孝彦」という。)の実弟でもある。正彦は、昭和五八年一〇月から小野田市立病院に勤務する内科・循環器科医師であるところ、本件係争年当時、日祝日勤務の非常勤医師として小野田心和園に勤務していた。原告が備え付けている病院日誌には、本件係争年当時における正彦の出勤日はいずれも日曜日であり、その日数は昭和六〇、六一年及び同六三年はいずれも一二日、同六二年及び平成元年はそれぞれ九日及び一一日である旨の記載がある(争いがない。)

(二)  原告は、本件係争年当時正彦に対し、別表1の「柴田正彦に係る報酬額」欄記載の各支給額の報酬を支払った。原告が小野田心和園に日祝日に勤務する正彦以外の非常勤医師(以下「他の非常勤医師」という。)に対し支払った報酬額の平均は、一日当たり四万六〇〇〇円である(争いがない。)。

5(一)  伊藤倭玖子(以下「倭玖子」という。)は、孝彦の母の従兄弟の子であり、昭和四四年から同四九年までの間、精神病を患い小野田心和園に入院して治療を受けて一旦寛解し、同年四月から同園に補助看護婦として勤務しながら、准看護婦学校に通学するようになり、そのときからリハビリを兼ねて孝彦の母宅に居住している。倭玖子は、昭和五〇年一一月ころに病気が再発し、下関市所在の柏村病院に一年間位入院し、右病院を退院した後は、孝彦の母宅から右病院に月に一、二回通院して治療を受け、本件係争年当時に至っていた(証人倭玖子、同浜田俊子、同孝彦)。

(二)  原告は本件係争年当時、倭玖子に対し、別表1の「伊藤倭玖子に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額の給料賃金及び現物給与(以下「給料等」という。)を支払った(争いがない。)。

(三)  孝彦は、原告から小野田心和園の会計、管理等の事務処理を包括的に任され、従業員等に対する給料等の支払を実質的に決定していたところ、本件係争年当時の倭玖子の出勤簿として、倭玖子が公休日(日祝日)以外のほぼ毎日出勤した旨の押印がなされた出勤簿を作成し小野田心和園に備え付けていた(甲一、五の1、2、証人孝彦、同倭玖子)。

二  被告の主張

1  本件各更正処分の適正法について

(一) 正彦に対する報酬の一部の必要経費否認について

(1) 事業所得における必要経費には、業務との関連性とともに、業務の遂行上の必要性が要件となり、更に、事業遂行のために必要か否かの判断は、単に事業主の主観的判断のみではなく、通常かつ必要なものとして客観的に必要経費として認識できるものでなければならない。

(2) 正彦は、本件各係争年分における小野田心和園への出勤日数が年間九日ないし一二日であるにもかかわらず、同人に対して七九六万円ないし八二〇万円もの高額な報酬が支払われていた(前記一4(一)、(二))。しかし、小野田心和園における正彦の勤務実態は他の非常勤医師のそれに比して特に異なったものではなく、それにもかかわらず原告が右のような高額な報酬を正彦に対して支払っていたのは、同人が原告の従兄弟であり、孝彦の実弟であるという情実によるものであり、右報酬の全額を業務の遂行上必要なものということはできない。そして、正彦の右勤務実態等を考慮すれば、同人に対して報酬として支払った金額の内、業務の遂行上必要なものとして必要経費に算入すべき金額は、他の非常勤医師に対する報酬額に正彦が勤務した日数を乗じて計算した金額であり、これを超えて支払った金額を必要経費に算入することはできないというべきである。

(3) したがって、正彦に対して支払った報酬額(前記一4(二))の内、別表1の「柴田正彦に係る報酬額」欄記載の各認容額の金額(他の非常勤医師に対する報酬額に正彦が勤務した日数を乗じて計算したもの)を超る部分、すなわち同欄記載の各否認額の金額は必要経費には当たらない。

(二) 倭玖子に対する給料等の必要経費否認について

(1) 倭玖子は、孝彦の母である柴田寿子と親族関係にあり、同人宅に居住してその家政婦としての業務に専念し、小野田心和園の清掃業務に従事したことはなかった。仮に、倭玖子が同園の清掃業務に多少従事していたことがあったとしても、それは、病気を治療するためのリハビリテーション、作業療法として行っていたものであり、また、従事した清掃業務の内容も、病後の不安を抱えた倭玖子が孝彦やその母に生活の安定のための支援を受けていた恩義に報いるべく行った手助け程度のものに過ぎなかった。

したがって、倭玖子に対する給料等は、原告の事業のために提供された労働力の対価としての性質を有せず、孝彦の母宅の家政婦としての役務の提供に対する対価としての性質を有するものである。

右によれば、倭玖子に対する給料等の支払は、家事費(所得税法四五条一項一号)に該当し、前記(一)(1)で主張したように、業務の遂行上必要な費用ではないから、必要経費には当たらないというべきである。

(2) 仮に、倭玖子が小野田心和園の清掃業務に多少従事していたことがあり、倭玖子に対する給料等の支払に、孝彦の母宅における家政婦としての役務の提供に対する対価としての性質のほか、小野田心和園における労働力提供の対価としての性質を有する部分があったとしても、その場合、右給料等の支払いは家事関連費に該当し、事業主が事業上の必要経費と所得の処分である家事費とを明確に区分していない以上、右労働力提供の対価としての性質を有する部分も含めて必要経費に当たらないというべきである(所得税法四五条一項一号、同法施行令九六条)。

(三) したがって、本件各更正処分は適法である。

2  本件過少申告加算税賦課決定処分の適法性について

原告が本件係争年分の所得税の確定申告を過少に行ったことについて、国税通則法六五条四項(昭和六〇年分及び同六一年分については、昭和六二年法律第九六号による改正前のもの。以下同様。)に規定する正当な理由がある場合に該当するとは認められないから、同法六五条一項に基づいて過少申告加算税の賦課決定をした前記処分は適法である。

3  本件重加算税賦課決定処分の適法性について

(一) 原告又は同人から小野田心和園の経理関係の処理を包括的に任されていた孝彦は、倭玖子に対する給料等について、同人が原告の事業の業務に従事していなかったにもかかわらず、右業務に従事していたかのような出勤簿を作成して押印するなどの方法により、倭玖子があたかも出勤して就労していたかのごとく仮装した上、同人に対して支払った給料等を事業所得の金額の計算上必要経費に算入して所得金額を過少に計算し、確定申告を行ったものであり、右所為は、国税通則法六八条一項に規定する課税標準等の基礎となるべき事実の全部又は一部を隠ぺいし、又は仮装したことに該当することは明らかであり、別表1の「伊藤倭玖子に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額を重加算税対象所得金額として、同条の規定に基づいて重加算税を賦課する旨の決定をした前記処分は適法である。

(二) 仮に、倭玖子が小野田心和園において清掃業務に多少従事していたことがあり、倭玖子に対する給料等の支払いに必要経費に算入されるべき同園における労働力提供の対価としての性質を有する部分があるとしても、右給料等の大部分は、孝彦の母宅における家政婦としての役務の提供に対する対価としての性質を有する家事費であり必要経費たり得ないものであるところ、原告又は同人から経理関係の処理を包括的に任されていた孝彦は、これを十分知りながら必要経費を水増しすることによって過少申告をしようという意図の下に、原告の事業所得の金額の計算をするに当たり、あえて、家事費と必要経費を明確に区別することなく右給料等の全額を必要経費に算入し、もって、原告の事業所得の金額を過少に申告したものであるから、重加算税の賦課決定をした前記処分は適法である。

三  原告の主張

1  正彦に対する報酬の一部の必要経費否認について

正彦は、小野田心和園の事務長である孝彦の実弟であり、単なる非常勤医師として勤務時間のみ同園の仕事をするだけでなく、将来同園の常勤医師として同人を迎える予定もあり、それ故同人は、病院経営上不可欠である。正彦は、非常勤医師や看護婦の斡旋をしてその確保に尽力したり、夜間又は休日に同人が専門とする内科の診療が緊急に必要となった場合に診療をしたりしており、原告や孝彦が日常的に相談できる緊密な関係にある者として前記報酬を支払う必要があった。

したがって、正彦に対して支払った報酬はその金額を必要経費に算入すべきである。

2  倭玖子に対する給料等の必要経費否認について

(一) 倭玖子は本件係争年当時、小野田心和園において清掃業務に従事していた。当時における同人の勤務時間は午後二時から同五時までであり、小野田心和園の病棟や庭は患者らが掃除をし、それ以外の事務所、会議室、院長室、事務長室等は倭玖子が清掃をしていた。

(二) 倭玖子は孝彦の母と同じ家に居住しているが、下宿料(当時は月額二万円)を支払っているのであり、家政婦の仕事はしていない。したがって、倭玖子に対する給料の支払いを孝彦の母宅における家政婦としての仕事に対する対価とみることはできない。

(三) また、倭玖子が清掃業務に従事していたことが、結果として同人に対するリハビリテーションになっていたからといって、それは、右従事が従業員としての勤務であることを否定するものではないから、右を理由に倭玖子に対する給料等を必要経費に当たらないということはできない。

四  争点

1  正彦に対する報酬はその全額が事業所得における必要経費に当たるか否か。

2  倭玖子に対する給料等は事業所得における必要経費に当たるか否か。

3  本件過少申告加算税賦課決定処分、本件重加算税賦課決定処分の適法性

第三争点に対する判断

一  本件各更正処分の適法性について

1  正彦に対する報酬の一部の必要経費該当性(争点1)について

(一) 所得税法三七条一項に規定する事業所得における必要経費に該当するためには、当該事業について生じた費用であること、すなわち業務との関連性がなければならないとともに、業務の遂行上必要であることを要し、更にその必要性の判断においても、単に事業主の主観的判断のみによるのではなく、客観的に必要経費として認識できるものでなければならないと解すべきである。

(二) これを本件についてみるに、前記第二の一4の事実及び証拠(甲二、四、乙一四、一八、一九、証人正彦、同孝彦、同西川進、同和田博美、同山本孝則、弁論の全趣旨)によれば、<1>正彦は本件係争年当時、小野田市立病院に内科、循環器科の常勤医師として勤務するとともに、日祝日勤務の非常勤医師として小野田心和園に勤務していたが、正彦が同園で行っていた診療業務の内容は、同園に入院している一般入院患者に対し、内科医として患者の心電図を解析し、患者の管理診療を行うなどの診療業務であり、他の非常勤医師の勤務内容に比して特に異なったものではなかったこと、<2>正彦が本件係争年において小野田心和園に出勤した日数は備付けの病院日誌に記載された通り年間九日ないし一二日であったにもかかわらず(前記第二の一4(一))、同人に対する報酬として、七九六万円ないし八二〇万円もの金額が支払われており、一日当たりの勤務の対価としては、昭和六〇年が六六万円余り、同六一年が六七万円余り、同六二年が九一万円余り、同六三年が六七万円余り、平成元年が七四万円余りとなり、これは、他の非常勤医師に対する報酬額(一日当たり四万六〇〇〇円)や正彦が本件係争年当時、本務である小野田市立病院の内科部長として年間に支払いを受けていた報酬を一日当たりに換算した金額(約四万二〇〇〇円ないし五万円)と比較して、著しく高額であること、<3>正彦は、昭和四五年ころから小野田心和園に勤務しはじめ同五八年一〇月ころまでの間は、途中二年間位を除き、週一回の割合で同園に勤務していたところ、同月ころ小野田市立病院に常勤医師として勤務するようになってからは、小野田心和園における勤務は月平均一回位となり同園での勤務時間が大幅に減少することになったが、正彦に対して支払われた報酬は、昭和五七年分が七八五万円、同五八年分が八二七万円、同五九年分が八二六万円、本件係争年分は前記<2>の金額であって、勤務時間の減少が全く考慮されていないこと、<4>正彦は、本件係争年当時小野田市立病院に勤務する地方公務員として地方公務員法三五条の職務専念義務を負っていたが、小野田心和園における勤務内容は右義務に違反する内容、程度のものではないとして、右義務の免除申請をしていなかったことが認められ、これらの事実と前記第二の一4の事実を併せ鑑みれば、原告が正彦に対して右のように他の非常勤医師に対する報酬に比較して著しく高額な報酬を支払っていたのは、正彦が原告の従兄弟であり、また、孝彦の実弟であるという情実によるものと認められる。

そして、他の非常勤医師に対する報酬は、非常勤医師の経歴、年齢、勤務年数、専門科目の違いによる差異はなく一律であり、しかも、右報酬は、近隣の病院における非常勤医師に対する報酬と比較しても若干高額であること(証人孝彦、同西川、弁論の全趣旨)を考えると、正彦に対して報酬として支払った金額の内、業務の遂行上客観的に必要な報酬として必要経費に算入すべき金額は、他の非常勤医師に対する報酬額(一日当たり四万六〇〇〇円)に正彦が勤務した日数を乗じて計算した金額であり、これを超える金額(別表1の「柴田正彦に係る報酬額」欄記載の各否認額の金額)の支払いは、業務の遂行上必要なものではないから、必要経費に当たらないと認めるのが相当である。

(三) 原告は、正彦には将来小野田心和園の常勤医師として勤務してもらうことを予定していて、正彦は同園に非常勤医師や看護婦の斡旋をしてその確保に尽力し、夜間又は休日の緊急の内科診療をしたことなどから前記報酬を支払う必要があった旨主張する(原告の主張1)。

しかし、仮に将来常勤医師として勤務してもらう予定があるとしても、原告の主観的意図はともかく、税の公平な負担を重要な目的とすべき税務行政の理想からすると、正彦に対して他の非常勤医師に対する報酬を超える報酬を支払うことに業務の遂行上客観的な必要性があるとは到底いうことができないし、また、非常勤医師等の斡旋や夜間等に緊急の内科診療をしたという主張については、証人正彦及び同正彦がこれに副う証言をし、甲二、四にこれに副う記載があるが、<1>右証人らもこれらを行った具体的な時期や内容は分からない旨証言していること、<2>右証人らは、緊急に診療をした場合には、診療録に記載がある旨証言し、証人孝彦は右診療録は証拠として提出できると証言しているにもかかわらず、結局本件訴訟において右診療録の提出はなされなかったこと、<3>原告は右医師等の斡旋や緊急の診療をした具体的な時期や内容を一切明らかにしていないことに照らせば、本件係争年当時に正彦が右斡旋や緊急の診療をした旨の前記証言等はにわかに採用しがたい。したがって、原告の右主張は採用することができない。

2  倭玖子に対する給料等の必要経費該当性(争点2)について

(一)(1) 証人倭玖子は、「本件係争年当時、小野田心和園において、週に五、六日、午後二時から同五時までの間清掃業務に従事した。」旨証言し、甲三、四、五の1、2にはこれに副う記載があり、証人孝彦、同浜田もこれに副う証言をしている。

しかしながら、倭玖子が本件係争年当時清掃をしていた場所について、証人孝彦は、「病棟以外の事務所、応接間、待合室、玄関、廊下を清掃していた。」と証言し、甲四(孝彦の陳述書)には、「病棟や庭以外の事務所、会議室、院長室、事務長室を清掃していた。」旨の記載があり、証人浜田は、「トイレ、面会室、応接間を清掃していた。」と証言するが、孝彦は、他方において、国税審判所長に対する審査請求の際は「病室又は病室の窓の清掃をしていた。」と供述し(甲一)、証人倭玖子は、「当直室やその周辺の廊下、トイレ、玄関、面会室、診療室前の廊下などを清掃していたが、院長室、事務長室、応接間は入ったことがない。」と証言するなど、供述相互に食い違いがある。そして、<1>北村ユリエは、昭和四八年から同六二年一二月まで小野田心和園において補助看護婦として勤務し倭玖子と懇意にしていた者であるが(乙二、一二、証人倭玖子)、「倭玖子が看護学校をやめた後健康を回復してから、ごく稀に炊事の方に来ていたときに会ったことがあるだけで、同人が掃除をしているのは見たことがない。倭玖子は、本件係争年当時は、既に孝彦の母宅の家政婦をしており、小野田心和園に勤務していなかった。」と供述していること(乙二、一二、証人西川)、<2>西村千枝子は、昭和四三年から同六二年一一月まで小野田心和園において補助看護婦として勤務し倭玖子とは旧知の間柄の者であるが(乙四、五、証人倭玖子)、「倭玖子は、看護学校を途中でやめた後は、孝彦の母宅で家政婦をするようになり、昭和六〇年当時は既に右家政婦をしており、西村が退職するまで、倭玖子が病院で仕事をしているのを見たことはなかった。」と供述していること(乙四、五、証人西川、同山本)、<3>昭和五〇年から平成元年三月まで小野田心和園において給食婦として勤務していた立川サツ子は、「倭玖子は、本件係争年当時、時々昼食や夕食を二人前位食堂に取りに来ていたが、小野田心和園で掃除をしているのは見たことがない。」と供述していること(乙一九、証人山本)、<4>昭和六二年一一月から平成元年一二月まで小野田心和園において看護婦として勤務していた荒木久子は、「本件係争年当時の小野田心和園の従業員については、医師、看護婦等だけでなく事務員に至るまで知っているが、倭玖子は知らない。毎日のように午後五時前に駕籠を持って小野田心和園に来ていた人がいたので、先輩に聞いたところ、孝彦の所の家政婦で、孝彦の家族の夕食を病院にとりにきていると教えてもらった。」と供述していること(乙一、証人和田)、<5>昭和三九年から小野田心和園に勤務し、平成元年三月に看護婦長として退職した中野好子は、「倭玖子は、孝彦の母宅において家政婦として働いている。」と供述していること(乙一四、一九、証人西川)が認められ、これら倭玖子の身近にいた者がそろって倭玖子の清掃業務への従事を否定していることからすると、証人倭玖子らの前記証言には大きな疑問があるといわざるをえない。

この点について、証人孝彦は、「北村、西村等の元従業員は病棟関係の仕事に従事し、事務所の方に来ることがほとんどなかったから倭玖子が掃除に従事していたことを知らなかったのであろう。」と証言し、証人浜田もこれに副う証言をするが、補助看護婦等は一日一回位は患者の日用品等の購入のため院長室、婦長室、薬局、面会室、応接間等の前を通って事務所に行くことがあり、倭玖子が毎日のように午後の一定時間に掃除をしていれば顔を合わせるはずであること(乙一三、証人倭玖子)に照らせば、倭玖子が本件係争年当時の五年間にわたって、週に五、六日、一日三時間の清掃業務に従事していながら、同人が清掃しているところを元従業員が見ていないというのは不自然というほかないし、また、元従業員の数名は倭玖子が小野田心和園に昼食や夕食をとりにきているところを見ているのに、同人が清掃しているところは見ていないことを考慮すれば、証人倭玖子等の前記証言は採用することができない。

もっとも、乙三には、平成元年三月まで一三年間小野田心和園に看護士の助手として勤務していた竹内喜俊が、「倭玖子が部屋の掃除をしていたことがあった。」と供述した旨の記載があるが、他方において、竹内は、「倭玖子は孝彦の母宅の手伝いをしていた。病院でも時々見かけることがあった。」と供述していること、また、竹内は、小野田心和園の各場所について清掃を担当していた者を具体的に供述しているが、その中に倭玖子は含まれておらず、竹内は、「小野田心和園に特定の掃除人はいなかった。」と供述していること(乙三、証人山本)に照らせば、右記載をもって、倭玖子の就労状況に関する証人倭玖子等の前記証言を裏付けるものと考えることはできない。

(2) また、<1>証人倭玖子は、「昭和五二年ころから、前記のように週五、六日、一日当たり三時間という勤務形態で、小野田心和園の掃除を始め、本件係争年当時もそのような就労状況であった。」と証言するが、証人浜田(昭和三九年から小野田心和園において事務員として勤務している者)は、「倭玖子が何時から何時までと決まった時間に掃除をするようにったのは、平成元年か同二年ころからであり、その前の掃除の時間はせいぜい一時間位である。」と証言しており、証人倭玖子の右証言と大きく食い違っていること、<2>証人倭玖子は、「リハビリにもなるからできる範囲でやってくれと原告に言われて、小野田心和園の清掃をするようになった。」、「小野田心和園が平成元年に建て替えられる前においては、掃除すべき範囲が明確に決まっておらず、また、自分が掃除をする場所でも自分が掃除をしないときは事務員が掃除をしていた。」旨の証言をし、証人浜田は「倭玖子は、浜田の手伝いとして掃除に従事していた。掃除は、その都度、トイレや応接間や面会室をするように指示していた。」とか「事務所は浜田ら事務員が掃除をしていたので倭玖子にはしてもらっていないし、面会室やトイレは時々自分たちも掃除していた。」などと証言し、前記西村は、「病棟や外回りは、看護婦、患者等で全部掃除をしていた。事務室や玄関は、事務員が掃除をしていた。会議室は月に一回位各病棟から数人出て掃除をしていたが、そのとき倭玖子が掃除に来たことはなかった。」と供述し(乙五)、前記竹内もこれに副う供述をしていることからすれば(乙三)、仮に倭玖子が小野田心和園において清掃をしたと認める余地があるとしても、その清掃すべき場所は予め定まっておらず、清掃範囲も狭いだけでなく、従事回数や従事時間は原告主張の週五、六日、一日当たり三時間よりもはるかに少なく、定期的なものではなかったと言わざるをえない。

(3) また、甲五の1、2(昭和六三年度及び平成元年度の倭玖子の出勤簿)には倭玖子が週に五、六日出勤したように出勤の押印がなされているが、<1>孝彦は、真実と異なるにもかかわらず、その妻である柴田千代(以下「千代」という。)が、日祝日以外の毎日同園に出勤して事務処理をしたかのような体裁を作るために、その旨押印のなされた出勤簿を自ら後になって作成していたこと(乙一四、一八、一九、証人西川、同和田、同山本、同浜田、弁論の全趣旨)、<2>千代の右出勤簿(乙一五の1、2)は、日々押印されたものではなく、後でまとめて作成されたものであり、そのため、小野田心和園に真実勤務している他の従業員の出勤簿(乙一六、一七)の押印が乱雑に並び、印影の濃さも日によって違い、年休や欠勤の押印もあるのに対し、千代の右出勤簿は押印が整然と並び、印影の濃さもほぼ均一であるという特徴があったところ、倭玖子の前記出勤簿も、押印の並び方、印影の濃さ等の特徴につき千代の右出勤簿と非常に類似していて極めて不自然であること、<3>倭玖子は本件係争年当時、治療のため下関市所在の柏村病院に月に一、二度通院していたにもかかわらず、倭玖子の前記出勤簿には年休、欠勤の記録がほとんど無いこと、<4>本件各処分がなされた後で、かつ、倭玖子が真実小野田心和園の清掃業務に従事するようになった平成三年以降の時期に作成された平成三年度、同四年度に係る倭玖子の出勤簿(甲六の2、3)は、他の勤務実態のある従業員のそれと同様、印影の並び方も乱雑で、年休、欠勤の押印も平成三年度は合計二〇数日、同四年度も数日存すること、<5>平成二年五月から被告が行った原告の所得税調査(以下「本件調査」という。)の際、倭玖子の平成二年度の出勤簿が、調査日現在の出勤簿綴りの中になく、他の従業員の出勤簿と別に保管されていたこと(乙一四、一八、一九、証人西川進、同和田博美、同山本孝則)に照らせば、倭玖子の出勤簿は、日々押印して作成したものではなく、後でまとめて作成したものであると認められる。

(4) 前記(1)ないし(3)によれば、本件係争年当時、倭玖子が小野田心和園で清掃業務に従事したことはほとんど無かったか、あるいは仮に、従事したことがあったとしても清掃場所も不特定で、従事時間・回数もほんのわずかで定期的なものではなかったものと認められる。

(二) また、<1>孝彦は、本件調査の際は、倭玖子に孝彦の母の世話をさせたり小野田心和園の清掃をさせたりするのはリハビリテーションがその目的である旨延べ(乙一四、証人西川)、<2>証人浜田は、倭玖子が清掃するようになる前は事務員などで手分けしてやっていたところ、倭玖子が掃除をしていたのは作業療法をすることが主な目的であった旨証言し、<3>証人倭玖子は、掃除について、原告から「リハビリになるから出来る範囲でやってくれ。」と言われた旨証言していることに照らすと、仮に、倭玖子が小野田心和園において清掃業務に従事したことがったとしても、それは、倭玖子の病気のリハビリテーションを行うことが主たる目的であったことが認められる。

(三) 更に、<1>倭玖子の両親は老夫婦で病気がちなため、倭玖子に対して経済的な援助をすることはできないこと(証人孝彦)、<2>孝彦の母(本件係争年当時七〇歳代)の家は五〇坪位の相当広い家であるところその清掃は全て倭玖子が行い、また、洗濯も倭玖子が孝彦の母の分も含めてしていたこと(証人倭玖子)、そして、食事については、倭玖子が小野田心和園に昼食や夕食を取りに行っていたが、それ以外で、倭玖子が孝彦の母の分も含めて二人の食事を作ることも多かったこと(乙一、一二、一九、証人孝彦、同倭玖子、同山本)や前記第二の一5(一)の経緯などに照らすと、倭玖子の扶養やリハビリテーションなども目的として、倭玖子は孝彦の母宅において家政婦の仕事をしていたことが認められる(乙二、四、一四、一九、証人西川)。

(四) 前記(一)ないし(三)によれば、本件係争年当時、倭玖子が小野田心和園において清掃業務に従事したことはほとんど無かったか、あるいは仮にほんのわずかでも従事したことがあったとしても、倭玖子の清掃は同園経営にとって必要不可欠なものではなく、その目的は倭玖子自身のリハビリテーションを行うためであり、その性質上本来対価の支払を予定されたものではなく、倭玖子は、孝彦の母の親族であり、孝彦及びその母から生活上の援助を受ける立場にあり、清掃に従事した程度も右のようなものであったのであるから、清掃も右援助に対する謝礼として当然行うべきものであって対価の支払を要するものではないこと、他方において、倭玖子は孝彦の母宅において、家政婦の仕事をしており、当時長期間にわたって通院治療中で、将来もそれが見込まれたことから、生活の安定を図るためには親族の援助を必要とする状態であったことが認められる。これらによれば、倭玖子に対して支払った給料名目の金員等は、倭玖子が小野田心和園において清掃業務に従事したことに対する対価の性質を有するものではなく、倭玖子が孝彦の母宅において家政婦の仕事に従事したことに対する対価あるいは、倭玖子の生活の安定を図るための生活費ないしは扶養料の支給としての性質を有することが認められる。

したがって、倭玖子に対する給料名目の金員等の支払は、家事費(所得税法四五条一項一号)に当たり、業務の遂行上必要な費用ではないから、必要経費には当たらないといわなければならない。

仮に、倭玖子に対する給料名目の金員等の支払の一部に清掃業務に従事したことに対する対価としての性質を有する部分があると認める余地があるとしても、右金員等の支払には、同時に、倭玖子が孝彦の母宅において家政婦の仕事に従事したことに対する対価あるいは、倭玖子の生活の安定を図るために支給した生活費ないしは扶養料の性質を有する部分があり、右支払は家事関連費に該当するところ、倭玖子が清掃業務に従事した程度、孝彦の母宅における家政婦として行った仕事の程度、倭玖子に対する給料等の支給額(別表1)に鑑みれば、清掃業務に従事したことに対する対価としての性質を有する部分は全体のごく一部である上、倭玖子の清掃業務の程度を具体的に明らかにするに足りる証拠がなく、右対価の部分、すなわち業務の遂行上必要な部分を明らかに区分することができないので、いずれにしてもこれを必要経費に当たるということはできない(所得税法四五条一項一号、同法施行令九六条)。

3  以上によれば、原告の本件係争年分の事業所得の金額は、別表1の「修正申告又は再修正申告による事業所得の金額」欄記載の各金額に、「柴田千代に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額を加算し、更に、前記1、2のとおり必要経費に当たらない「柴田正彦に係る報酬額」欄記載の各否認額の金額及び「伊藤倭玖子に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額を加算した金額(別表1の「事業所得の金額」欄下段記載の各金額)であることが認められる。

別表1の「利子所得の金額」、「雑所得の金額」欄記載の各金額の各所得が存するので、総所得金額が同表の「総所得金額」欄記載の各金額となり、これから本件係争年分の所得控除の金額を控除して課税所得金額を算出すると同表の「課税所得金額」欄記載の金額となる。

したがって、別表1の「課税所得金額」欄記載の各金額の範囲でなされた本件各更正処分は適法である。

二  本件過少申告加算税賦課決定処分の適法性(争点3)について

前記一のとおり、本件各更正処分は適法であり、更正処分により納付すべき税額の計算の基礎となった事実が更正前の税額の計算の基礎とされていなかったことについて、国税通則法六五条四項に規定する正当な理由があることを認めるに足りる証拠はないから、別表1の「柴田正彦に係る報酬額」欄記載の各否認額の金額を過少申告加算税対象所得金額として、同条一項の規定に基づき過少申告加算税を賦課決定した前記処分は適法である。

三  本件重加算税賦課決定処分の適法性(争点3)について

前記第二の一5(三)及び前記第三の一2(一)の事実によれば、倭玖子は、本件係争年当時、小野田心和園で清掃に従事したことはほとんど無かったか、あるいは仮にあったとしても、定期的なものではなく、時間・回数共に稀なものであったにもかかわらず、原告から小野田心和園の会計、管理等の事務処理を包括的に任されていた孝彦は、倭玖子が公休日(日祝日)以外のほぼ毎日出勤した旨の押印がなされた出勤簿を作成し、あたかも倭玖子が出勤簿の記載のとおり出勤し清掃業務に従事したかのように仮装して給料名目の金員等を支払い、これに基づき右金員等の支払を事業所得の金額の計算上の必要経費として所得金額を過少に計算し確定申告をしたことが認められ、右事実及び前記第二の一3(二)によれば、別表1の「柴田千代に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額及び同表の「伊藤倭玖子に係る給料賃金等の額」欄記載の各金額を重加算税対象所得金額として、国税通則法六八条一項の規定に基づき重加算税を賦課決定した前記処分は適法である。

なお仮に、右出勤簿の記載中に真実倭玖子が出勤した部分がわずかに含まれていると認める余地があるとしても、右に述べたようにその部分は、全体のごく一部である上、これを明らかにするに足りる証拠がないので、同表の「伊藤倭玖子に係る給料賃金等の額」欄記載の金額全部を重加算税賦課の対象所得金額とせざるをえない(同法六八条一項)。

四  以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂本倫城 裁判官 古賀輝郎 裁判官 井田宏)

別表一 課税処分等経過表(昭和六〇年分)

別表二 課税処分等経過表(昭和六一年分)

別表三 課税処分等経過表(昭和六二年分)

別表四 課税処分等経過表(昭和六三年分)

別表五 課税処分等経過表(平成元年年分)

別表1 事業所得の金額の計算明細等

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